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健之くん応援委員会

“奇跡のクリスタルボイス”─作家・五木寛之氏が命名!─「金沢望郷歌」でデビューした 歌手の松原健之さんを応援するブログです。         健之(たけし)くんの歌声を もっともっと 沢山の人に聴いて欲しいとの願いをこめて!

弥生3月♪

弥生3月となりました これからは、おおむね日に日に暖かくなる事でしょうし、世の寒がりさん達もようやく一息つけるのではないでしょうか。一方、3月には、東日本大震災から満4年となる11日や、10日には1945年の東京大空襲から70年の記念日もやって来ます。このように、まだまだ忘れてはいけない日もたくさんあり、思いの深い月になりそうです。確定申告も今月。1年で有数の忙しい月でもありますので皆様、お体を大事に過ごされればよいと願っています

そして、忘れられないといえば、先月の末に、10代目坂東三津五郎さんが亡くなられて、勘三郎さんに続き、そのあまりにも早い別れに、歌舞伎ファンとしても大変悲しくまだ茫然としています。実を言いますと、勘三郎さんがいなくなってしまわれたこともまだ信じられないのに、三津五郎さんまで・・と、やりきれない気持ちです。御具合が悪いことは漏れ聞いていましても、きっとよくなられると願っていましたので、ああついに、、という思いです。勘三郎さんというよりは勘九郎ちゃん、三津五郎さんというよりも八十助さん、と言ったほうが、私たちの世代には馴染みがあり親しみもあって、ついいつも、内々で歌舞伎の話をするときなどにはそう呼んでいました。
勘三郎さんの芸熱心な芸達者ぶりはもう誰しもご存じでしたが、三津五郎さんにはそれともまた違った、他の役者さんにはちょっとない持ち味があって、それは私が思うに、どの役をおやりになるときにも必ず、その役を誰よりも深く掘り下げて演じていらしたことではないかと思うのです。歌舞伎は「型」の芸能ですから、型通りにやれば一応合格点はとれると思われるのですが、そこを三津五郎さんは、型の踏襲にとどまらず、なおご自分で誠心誠意、役作りをされてお芝居に臨んだ、数少ない役者さんであったと思います。三津五郎さんの舞台を拝見しますと、世話物・時代物を問わず、他の役者さんが同じ役をされる時よりも、その芝居の内容がずっとこちらの腑に落ちて新たな感動を覚えたことを、思い出します。
また三津五郎家は舞踊の坂東流の家元でもあり、当代はまことに踊りの名手でした。健之くんのお知り合いの、舞踊家で歌手の花園直道さんが、先月の、三津五郎さんの追悼インタビューに応じられている場面を偶然テレビで見まして、彼が坂東流の名取でいらしたのを初めて知りました。直道さん、とても踊りがお上手で名取さんであることは存じていましたが、三津五郎さんのお弟子さんだったのですね。意外でしたし素晴らしいことだと思いました。




平成初期・役者さんサイン☆
<↑以前、たまたま俳優さんたちから戴いたサイン色紙ですが、もうここに書かれている方々も、團蔵さんと鶴蔵さん以外は鬼籍に入られてしまったことになります・・ 三津五郎さんの八十助時代のサインが右端、真ん中の三津五郎さんは九代目で八十助さんのお父様ですね。松助さんは、今何かと話題の尾上松也さんのお父様。>

おまけ 歌舞伎ファンは見ていらっしゃる方も多いかと思いますが、その松也クンの初舞台をわたしも見ていました~。とても可愛い子だったので、今の人気もわかる気がしますが。松也クンがお父さんのような味のある役者さんになれるか、これからの精進が楽しみです。
H2伽羅先代萩中央の鶴千代君役です(「伽羅先代萩」より、右は千松役の七之助さん)。

↓その時のチラシです。
1990(平成2)年の5月、松也さんのお父さん・尾上松助さんの襲名披露興行も兼ねた團菊祭大歌舞伎でした。「初舞台 松也」の文字が見えますが小さいですネ。そして、勘九郎、八十助、團十郎のそれぞれ、このところ相次いで早世された名優の名前が、このころはまるで元気に踊っているかのようで、今こうしたチラシを眺めると、とても悲しいような懐かしいような思いにとらわれます。今年の春はどんな春?良い春となりますように
H2團菊祭大歌舞伎ちらし☆

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