来たる9月13日に、東京国際フォーラムで開かれ、健之くんも出演されます「ニッポン放送開局60周年記念 カッキー・欽ちゃんのニッポン放送ハッピー歌謡祭」。ぜひぜひ健之くんには、あの素晴らしい歌声を大ホールいっぱいに響かせ、たくさんのお客様方を感動に導いてくださるよう熱望いたしますし、また実際に、まさにそうなることと思います いつも心より応援しております
9月2日火曜日の「NHK歌謡コンサート」にも御出演、テレビ画面に映る健之くんを、やはり心から楽しみにしています
さてそれにしましてもニッポン放送の60周年というのはすごいですね。1954年7月の放送開始ということですから、53年の、NHKのテレビ放送開始の翌年です。民放として画期的なことでした。そして私達の世代では、ニッポン放送といえば何と言っても黎明期の「オールナイト・ニッポン」の思い出が強く、受験やテストの勉強をし“ながら” ラジオを聞き“ながら”の“ながら族”の発祥の地が、まさにこのニッポン放送の、この深夜番組だったと思うのです 当時は夜中の1時から5時まで、一人のパーソナリティーがひたすらしゃべり通していまして、彼らは皆ニッポン放送のアナウンサーで、毎日の日替わり登板でした。
私もご多分にもれず、毎晩のようにオールナイト・ニッポンを聞きながら机に向かい、しかし机に向かっているのかラジオに向っているのか 気が付くともう朝で、トランジスタラジオを抱いてベッドに倒れよだれを垂らし その日のテストに備えての歴史の暗記も数学の公式まる覚えも、全然やっていなかった・・という涙・涙のことがよくありました。ジャパニーズポップスも歌謡曲も洋楽も、ほんとうに沢山のヒット曲に溢れた時代で、それを聞くのが楽しくて楽しくて、という時期でした。曲のリクエスト葉書は私はそれほど書いたことはなかったけれど、全国のリスナーからの葉書やお便りを、パーソナリティーの人達が読んだり、お返事したりするのを聞くのは、とても興味シンシンでした 日本のDJの草分けの、“Go Go Go!”の糸居五郎さんの声も、当時ラジオで生で聴けましたし、斉藤安弘・アンコーさんやカメちゃんの亀淵昭信さん(→のちにニッポン放送の社長になっちゃいましたね!)それから高嶋秀武さんなどが特に印象に残っています。アンコーさんは、そのずっとずっと後、たけしくんがデビューをされる少し前あたりから、「オールナイトニッポン・エバーグリーン」という番組もされていたことがあって、一時とても懐かしく聴いていました。
“奥様お嬢様が泣いて喜ぶあなたの高崎一郎です”と、臆面もないキャッチフレーズで知られた高崎さんはオールナイトニッポンのたしか土曜日の担当でしたか。平日のパーソナリティー達よりも、ぐっとキザでモダンで、そこがまた良かったのですね。でも実は、わたしの一番のお気に入りは、水曜か木曜の平日を担当していた、てっちゃんこと今仁哲夫さんで、彼のおしゃべりはあの頃の私たちから見ると、ちょっと大人っぽくて仇(あだ)っぽいところがあり、そこがまた聴き甲斐があったのでしょうね レスリー・ゴーアの「涙のバースディ・パーティー」の替え歌で、~今日はてっちゃん誕生日、おめでとう~ なんていう歌をよく番組で流していたのも好きで、これは例によっていまでもときどき口ずさんでいます
テレビのニュースで見た「ひまわり娘」ちゃん
9月2日火曜日の「NHK歌謡コンサート」にも御出演、テレビ画面に映る健之くんを、やはり心から楽しみにしています
さてそれにしましてもニッポン放送の60周年というのはすごいですね。1954年7月の放送開始ということですから、53年の、NHKのテレビ放送開始の翌年です。民放として画期的なことでした。そして私達の世代では、ニッポン放送といえば何と言っても黎明期の「オールナイト・ニッポン」の思い出が強く、受験やテストの勉強をし“ながら” ラジオを聞き“ながら”の“ながら族”の発祥の地が、まさにこのニッポン放送の、この深夜番組だったと思うのです 当時は夜中の1時から5時まで、一人のパーソナリティーがひたすらしゃべり通していまして、彼らは皆ニッポン放送のアナウンサーで、毎日の日替わり登板でした。
私もご多分にもれず、毎晩のようにオールナイト・ニッポンを聞きながら机に向かい、しかし机に向かっているのかラジオに向っているのか 気が付くともう朝で、トランジスタラジオを抱いてベッドに倒れよだれを垂らし その日のテストに備えての歴史の暗記も数学の公式まる覚えも、全然やっていなかった・・という涙・涙のことがよくありました。ジャパニーズポップスも歌謡曲も洋楽も、ほんとうに沢山のヒット曲に溢れた時代で、それを聞くのが楽しくて楽しくて、という時期でした。曲のリクエスト葉書は私はそれほど書いたことはなかったけれど、全国のリスナーからの葉書やお便りを、パーソナリティーの人達が読んだり、お返事したりするのを聞くのは、とても興味シンシンでした 日本のDJの草分けの、“Go Go Go!”の糸居五郎さんの声も、当時ラジオで生で聴けましたし、斉藤安弘・アンコーさんやカメちゃんの亀淵昭信さん(→のちにニッポン放送の社長になっちゃいましたね!)それから高嶋秀武さんなどが特に印象に残っています。アンコーさんは、そのずっとずっと後、たけしくんがデビューをされる少し前あたりから、「オールナイトニッポン・エバーグリーン」という番組もされていたことがあって、一時とても懐かしく聴いていました。
“奥様お嬢様が泣いて喜ぶあなたの高崎一郎です”と、臆面もないキャッチフレーズで知られた高崎さんはオールナイトニッポンのたしか土曜日の担当でしたか。平日のパーソナリティー達よりも、ぐっとキザでモダンで、そこがまた良かったのですね。でも実は、わたしの一番のお気に入りは、水曜か木曜の平日を担当していた、てっちゃんこと今仁哲夫さんで、彼のおしゃべりはあの頃の私たちから見ると、ちょっと大人っぽくて仇(あだ)っぽいところがあり、そこがまた聴き甲斐があったのでしょうね レスリー・ゴーアの「涙のバースディ・パーティー」の替え歌で、~今日はてっちゃん誕生日、おめでとう~ なんていう歌をよく番組で流していたのも好きで、これは例によっていまでもときどき口ずさんでいます
テレビのニュースで見た「ひまわり娘」ちゃん